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「鍛冶屋通り」検証開始 地元住民ら30人参加
2011-12-17
桐生市錦町に存在したと思われる「桐生鍛冶屋通り」を検証するワークショップが17日午前、ファッションタウン桐生推進協議会(日野茂会長)の主催で開かれ、機械金属業の経営者や地元住民ら30人が参加。現存する通りを歩いたほか、現時点で分かっている関連事項について情報交換した。
同協議会が「桐生の機械金属工業」の興りと発展をテーマに今年度催している連続講座「桐生学」の一環で催したもの。
資料によると「桐生鍛冶屋通り」は盛運橋付近から新宿通りに掛けての約400メートルの路地を指し、昭和初期に繊維機械などを手掛ける18軒の鍛冶屋(鉄工所)が軒を連ねたとみられているが、今は1軒も残っておらず、詳細は不明となっている。
参加者らは通りを歩いて現状を確かめたほか、雷電会館で情報交換。金鈴鉄工(現鈴木機械)や桐生産地で名をはせた「須藤式織機」を製作した須藤鉄工など通りで操業していた代表的な事業所のあらましに触れた。
また、郷土の歴史を研究している川嶋伸行さんが錦町かいわいに明治期から昭和初期にかけて存在した鉄工所や材料商などの分布図を公表し、「鉄工所などが非常に多かったのは本町から流れてきて新宿をにらんだ好適地として集中したのではないか」と自説を述べた。
通りの先、桐生信用金庫本店と足利銀行新宿支店の建つ場所は桐生製作所(旧桐生機械、現キリウ)の創業地で、同社との関連性についても考察した。地元の錦町東町会自治会長で元桐生機械勤務の北山清さんが会社のあらましを解説した。
今回の試みでは「桐生鍛冶屋通り」という固有名詞を記憶している証言は得られず、ごく限られた範囲での呼称だった可能性も指摘された。協議会では引き続き、情報収集などを進めていく。
錦町西町会自治会長の関口荘一さんは地域の歴史を掘り起こす機運が地元で近年盛り上がっていることに触れ、「資料集めが難しいと感じていた矢先。このような形で錦町に注目してもらえるのはありがたい」と喜んでいた。

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