桐生タイムス | 震災遺児に自分重ね 「未来を切り拓いて」

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震災遺児に自分重ね 「未来を切り拓いて」

2011-8-13

 東日本大震災で親が死亡または行方不明となった震災遺児は1200人以上。その姿が報道されるたびに、幼いころの自分の境遇と重ね合わせ、特別な思いで見守っている人がいる。桐生市本町六丁目の主婦・末田キクエさん(79)は、66年前の東京大空襲で戦災孤児となった。「炎に巻かれて一緒に川に入ったのが母との最期の思い出。つらくても、必ず未来はある。震災遺児たちも未来を切り拓(ひら)いてほしい」と祈るように語っている。
 東京・深川で「岡本薬局」を営む両親のもと、4人きょうだいの末娘として生まれ育つ。5歳のころ、慈善事業に熱心だった父の楢三郎さんを亡くして以降、母の竹代さんが店を切り盛りしていた。
 東京大空襲が下町一帯を襲った昭和20年(1945年)3月10日未明。13歳だったキクエさんは母と手を取り合って逃げた。無数の焼夷(しょうい)弾が降り注ぐ中、あっという間に町全体が炎に包まれた。
 道路沿いの民家の窓からは次々と炎が噴き出し、路上一面に高さ30センチの炎が渦巻く中を走る。すぐ近くには、背負った赤ん坊が燃えるのにも気付かず逃げまどう女性の姿。想像を絶する恐ろしい光景が目の前に広がっていた。

 近くの小学校の耐火校舎に駆け込んだが、人が多すぎて入ることさえできない。三方から迫る炎に追われるようにして川岸へ。橋は焼け落ちてしまい、これ以上逃げる場所がない。
 「これで最期だね」と言いながら、覚悟を決めて川に飛び込む。固く握っていた2人の手がほどけた。その瞬間に途切れる記憶。気がつくと、自分だけ川岸に打ち上げられていた。
 奇跡的に生き残った兄2人が、無数の遺体が転がる焼け野原を捜し回った。が、母の行方は分からない。1年後に葬儀をしたものの、どこかで記憶喪失になって生きているかもしれない、との思いを捨てきれずに苦しんだという。
 「今回の震災で親を亡くした子どもの報道を見ていて、昔の自分と同じ境遇だと感じた。遺体が見つからない限り、いつまでも大切な人の死を認められない。その苦しさが痛いほど分かる」

 桐生に嫁いで57年。夫の隆也さんは約9年前に74歳で亡くなったが、子や孫にも恵まれ、家庭の良さを味わうことができた。同居していた義母にも尽くし、5年間の自宅介護の末に最期をみとれたことにも満足している。
 この春に大病を患ったため、義母から受け継ぎ62年続いた婦人服店「スエダ」を先月下旬に閉めた。その際に病状を心配した多くの友人やお客さんから励まされ、涙が出るほどうれしかった。病状に絶望した時期もあったが、今は少しずつ前向きな気持ちを取り戻しつつある。
 「自分は人に恵まれていると思う。父も母も周りの人を大事にする人だったので、両親が残してくれた財産かもしれない。震災遺児にぜひ伝えたいのは、どんな逆境でも必ず未来は開けるということ。わたし自身も病気にめげず前を向かなきゃね」。自らに言い聞かせるように笑顔で語った。