桐生タイムス | 彦部家住宅で紅葉狩りウイーク開幕

きょうの夕刊

彦部家住宅で紅葉狩りウイーク開幕

2009-11-21

 重要文化財・彦部家住宅(桐生市広沢町六丁目、彦部篤夫当主)で21日から、第8回紅葉狩りウイークが始まった。長屋門前のイチョウは鮮やかな黄色を保ち、冬住前や室町風池泉回遊式庭園の紅葉が例年より早く色づくなか、「昭和初期」に焦点を当てた今回。参加者は郷土の先人たちに思いをはせ、伝来のけんちん汁を味わうなど、歴史の家でゆったりとしたときを過ごしていた。
 オープニングの式典に続き、初公開中の彦部駒雄(1878〜1935年)の書額の背景を、亀田光三さん(桐生文化史談会顧問)が「昭和恐慌と桐生産地」と題して基調講演した。書額は昭和8年(1933年)、桐生内地織物統制会長として13項目の標語を書いたもので、今年現物が三越で発見され、同家に返還された。「肉筆から駒雄の思いが伝わってくる」と亀田さん。
 前史として、絹綿交織の黒繻子(しゅす)が主体だった桐生産地は、明治後期から大正初期、魅力的な製品を織り出すことができず「眠れる桐生」といわれたほどの不況期。実質的な近代化は大正期で、村田式力織機が普及し、人絹を使うようになって安価で大量生産が可能になったという。
 昭和になって足利、伊勢崎が大衆的人気のあった銘仙で恐慌を克服していくのに対し、桐生は海外に駐在員を置くなどして輸出に力を入れ、内地向けには積極的な宣伝活動を行った。そのリーダーが昭和元年(1926年)に桐生織物同業組合長に当選した駒雄で、「産業に政党なし」として業界の団結を図っている。
 書額は買次商より工場主の力が強くなった時代、駒雄は取引改善、新製品の保護奨励、返品処理、不当販売防止のため定款をつくり、さらに標語にして掲げたもの。亀田さんは「防げ返品織り込め誠意」など13項目を読み上げて、解説した。
 その後は「昭和初期の桐生産地の歴史に学ぶ」と題したパネルディスカツションも行われた。
 ウイークは29日まで。問い合わせは同家(電52・6598)へ。