ぞうき林
不幸な現実
2010-1-19
確か、立て続けに地下鉄サリン事件もあった年だったと思う。阪神淡路大震災、もう15年もたつのだな。今の中学生はほとんどが震災後の生まれで、実体験がないそうだ▼群大の先生や桐生消防の人たちに同行して、本紙からも当時、何人かが取材で兵庫へ行ったが、自分は留守部隊。逐次、ニュースに接してはいたけれど、落ちた高速道路や崩れ落ちた建物、困窮の様子などをじかに見ていないから、そういう意味では中学生たちと同じ、実体験はない▼どれほどおそろしいかの度合いは、自分にとっては想像の中でしかないけれど、おそろしい出来事だったのは疑う余地もない。体験にまさるものはないが、おそろしい目やひどい目なんてものは自ら好んで遭う必要はない。取り返しのつかないことだってある。遭わずにすむならそれにこしたことはない▼大震災の後、政府や自治体など非常時の態勢などが整備され、ボランティアの組織や動きもしっかりしていった。家庭や各人の意識や事前の備えも定着したと思う。大震災以前にあったさまざまな“思い込み”が、不幸にも発生した大震災によって現実に即したものへとなった▼遭わずに済めば幸い、遭ってしまったのは不幸。遭わずとも想像力があればその不幸に近づくことはできるけれど、独善的な思い込みに走ってしまうこともある。不幸に遭ってしまったのなら、その不幸な現実をその後につなぎ、生かすしかない。(篤)

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