桐生タイムス | 大地の目覚め

論説

大地の目覚め

2010-3-5

 ひさしぶりに畑に出たら、草の青みが勢いづいていて、フキノトウの堅くしまった頭が、あちらこちらでつのぐんでいた。雨を含んで、黒さを増した土の色。梅の花もだいぶ開いて、一輪ごと、一雨ごとの春を実感する日々だ。
 カリフラワーとブロッコリーの区別がつかないときがあった。というか、そんな違いはどうでもよかったのだが、野菜づくりに手を染めて、キャベツや白菜、アブラナなどの葉ものを育ててみて初めて、専門的なことはともかく、自分の中ではしっかりグループでくくれるようになった。カリフラワーはキャベツの舌ざわり、ブロッコリーはアブラナの味と、これは食感にもとづくよりわけである。
 たかが家庭菜園、されど家庭菜園で、素人ながらも続けているといろんなことが勉強になるし、新しい世界が開け、おもしろい。
 昨年、初めてタマネギを植えてみた。日当たりも風通しもいいのに苗の成長が芳しくない。よその畑の苗は暮れのうちから背が伸びて大きくなったのに、うちはなぜかと気になっていたが、このところの雨と陽光でぐんぐん伸び、もう他と遜色がなくなった。
 「日当たりとか風通しとか栄養とか、恵まれたところのものは成長を急がない。植物はそういうものだ」と、本職から教えてもらった畑仕事のヒントが実例を通じて身についていく感触がいいのだ。
 風にあおられ、霜にやられてもうだめかとあきらめていたソラマメが新しい葉を伸ばしていた。秋にまいて以来、まったく音信不通だったゴボウも、土を割って苗が顔を出している。成長とはそういうものかと、あらためて思う。
 開墾をし、石灰をまいて、彼岸前にはジャガイモをまきたい。昨年収穫したジャガイモは丹念に芽をかいてきたので、しなびることなくここまできた。この分なら夏の収穫までもちそうである。
 桐生の仲間と展開している東北での無農薬米づくりは、ことしは休耕田を床として苗を育てることにした。年ごとに、一歩一歩だが動ける範囲を広げ、中身の充実を目指している活動だが、この田につづく里山を昨年に整備したことで、日当たりのよい林床にワラビやゼンマイがいっせいに顔を出すという副産物の楽しみが、春につながれた。4月の半ば、たぶんそのころには、ヤマザクラが咲きほころんでいるはずだが、いまはまだ、すべての兆しは土の中だ。
 でも、鳥のさえずりは変化してきたとの便り。こちらでは、巣づくりカラスやヒヨドリの鳴きあいで、朝が随分にぎやかになった。
 土の中と大気の中で行きつ戻りつする春がいる。その境界をなす大地の表情が、これからひと月はとても気になる季節である。