論説
地球はつながっている
2010-3-2
いま81歳の人が小学校のころだったというから、もう70年ほど前のことである。北海道の力昼という海辺の町で暮らしていたときに、津波に遭遇した体験者だ。
郵便局と宿を営んでいた大きな家だった。前後の事情はうろ覚えでしかないが、とても強く印象に残っているのは、海が急に静かになったことである。水際がどんどん沖へ後退し、波の音が遠のいていたからだ。そして「津波が来るぞ」と、大騒ぎになった。
自然災害が前ぶれもなくやってくる時代には、小泉八雲の「稲むらの火」のように、頼りになるのは、経験者の判断である。物語では土地の古老が、知らせているのでは間に合わないと、火をつけて人々を山の高みに誘導したが、北海道でも避難を指示したのは経験者たちで、みんなはまず身一つで必死に裏山へ逃げ登った。海辺の集落は山を背にしていたことが幸いして、この津波で人に被害が及ぶことは避けられたという。
津波が去った後、波に洗われた家の土間の片づけで大勢の大人が黙々と働いていた。津波と聞くたびに、いまでもその情景が、鮮明によみがえってくるのだそうだ。
地球儀では日本のほぼ反対側に位置し、メルカトル図では大きな太平洋を隔てている南米チリとの関係だが、1960年のチリ大地震の津波では、日本の太平洋側のほとんどの地域に津波が押し寄せて、東北を中心に100人以上の死者を出した。地球がひとつの世界であることを、つらい体験をもって知る私たちである。
そのチリで2月27日に発生した大地震。日本の沿岸ではすぐに津波襲来の緊張感が高まった。記録によれば、50年前の津波は22時間ほどで到達したといい、今回も、ほぼ同様の時間で、日本各地に数十センチから1メートルほどの波となって押し寄せてきた。警戒が解かれたいま、騒ぎが大きすぎたという反省も出たし、新たな課題も見えてきたが、大きな被害がなかった幸いに勝るものはない。きちんと備え、整然と行動するには、私たちはこの経験をどう生かせばいいか、大事なのはそこだろう。
マグニチュード8・8という巨大な規模の地震だけに、現地では日を追うごとに死者の数が増しているようで、建物が倒れたり、交通や通信が寸断したりした状態のまま、実態の把握にはまだ時間がかかりそうだし、こんご、市民生活や経済活動への深刻な影響はまぬがれそうにない。急がれるのはやはり、国際的な支援態勢だ。
遠い異国の出来事でありながらも、この地球上に暮らしている私たちにとって、無関係なものは何一つないというあたりまえの真理を、災害はそのたびに、教えてくれるのである。

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