論説
平和への思い
2010-2-26
群馬大学工学部出身の山浦麻葉さんが出場したカーリング女子は惜しくも予選敗退となってしまったが、静かに進行する競技性の高さを十分楽しませてもらった健闘だったし、冬季五輪史上最多の7競技86種目、最終盤の熱戦が続くバンクーバー冬季五輪である。
注目の女子フィギュアスケートはきょうがフリー演技。浅田真央さんをはじめ、各国の有力選手は若いころから一線に飛び出してきた逸材ばかりだから、すっかりなじみ深い顔ぶればかりだが、五輪の歴史をひもとくと、日本の出場者のなかの最年少記録というのも女子フィギュア選手が持っていて、1936年、ドイツのガルミッシュパルテンキルへンで開催された第4回冬季大会の稲田悦子さんの12歳である。小学生が出場したことも、夏冬を通じ、日本の記録になっているという。
しかもこの大会は、日本人が冬季で初の入賞者を出した五輪でもあったのだが、第2次世界大戦前夜の国際情勢の中で、世界の関心はやはり、ナチスドイツが威信ををかけ開催したという点である。
開会宣言はヒトラーが行い、人種政策で厳しいチェックを受けたことから、ドイツはアイスホッケーチームにただひとりユダヤ人選手を加え、世論をかわしたのだ。
また、当時の女子スピードスケート界で無敵だったノルウェーの女子選手は、五輪に女子スケートがなかったため、この大会から採用されたアルペン競技滑降に参加して、銅メダルを獲得した。女性に対する五輪競技の閉鎖性も注目された大会だったようである。
一方、このように緊張した国際関係において、日本の動向にも各国の目は注がれ、二・二六事件の発生を世界が知るのは、この大会の閉幕後、まもなくのことだ。
激しい雪の首都東京。皇道派と呼ばれる青年将校たちが昭和維新をかかげて決起し、政府要人を襲撃し、国政の中枢部を占拠したのが74年前のきょうである。やがて決起部隊は反乱部隊と断定されて事件は終息。武装を解除した青年将校、思想的指導者らは裁判によって処罰されたのである。
しかしこの事件を機に、政治は決定的に抑止力を喪失し、日本は一気に戦争の渦中へ進んでいく。
48年にスイスのサンモリッツで開催された第5回冬季五輪は、敗戦国となった日本とドイツは参加を認められなかった。戦後日本が冬季で復帰を果たすのは、52年の第6回のオスロ大会からである。
戦争という苦い体験を呼び起こすようなそんな歴史的な日のなかで、女子フィギュアの決戦を堪能できる現代の私たちである。ここまでの歩みは、多くの人の平和に対する強い意志と努力のたまものであることを改めて感じるのだ。

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